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ふぉー! (中国編) 

 



スーパーバックパッカー・ファンの皆様、こんにちは。


今回の記事はこのブログを開設してから32回目になり、当初は「帰国記念」として日本に帰ってからアップする予定でしたが、急遽予定を(内容も)変更して、現在滞在している中国は上海から更新したいと思います。


えー、今たぶん読者のほとんどが



「どうしてコイツは上海なんかにいるんだ?」



 と、考えているんじゃないかと思うので簡単に説明しますと、僕が帰国のために買ったエア・チケットが、バンコクから上海を経由して日本へ帰るチケットだったんです。本当は直接日本に帰りたかったんですけど、ダイレクト便は日本の卒業旅行シーズンのせいで価格が異常に高く、それで仕方なく現時点で一番安い「中国〇〇航空」というエアラインで帰ることになったのです。このチケットはダイレクト便よりも2万円くらい安く、また上海の空港でのトランジットは2時間だけだというので、そのときは、「まあ安いし、2時間トランジットするくらいかまわないや。」と思ってチケットを購入したのですが、それがこんなことになるなんて・・・。


いや、実はそんなたいした事じゃないんですけど、「バンコク→上海」の飛行機が悪天候のせいで、上海への到着が3時間遅れてしまったのです。もともと上海空港でのトランジットは2時間しかなかったので、当然のことながら上海に到着したときには、僕が上海から日本へ乗る予定だったフライトは既に出発しちゃった後で、ようするに乗り遅れてしまったのです。ただ悪天候で飛行機が遅れたのはもちろん乗客のせいではないので、僕は問題なく「次の便」で日本へ帰れると、航空会社の係員が説明してくれたんですけど、その「次の便」というのが、・・・・・なんと24時間後だと言うんですよ・・・。


まあそんな事情で僕は今、航空会社が用意してくれたホテル(もちろん無料、3食付、ネットもできる)にいて、この記事を書いています。上海で丸一日時間ができちゃったので、観光とかしてもよかったんですけど、前に一度来たことあるし、そんなに面白い街でもないのでそれはパスし、同じく日本行きの飛行機に乗り替えできなかった若い日本人女性と、ずっとホテルのロビーでハナシをしてました。


その女性もタイ旅行の帰りだったのですが、彼女はバックパッカーではなく、スーツケーサーでした。(そういう言葉があるのか知りませんが、ようするにスーツケースで旅行する人と理解してください。)けっこう気さくな女性だったんですけど、僕は正直言って最初は緊張しながら話してました。だって普通の日本人女性とハナシするなんて、すごく久しぶりだったものですから。


読者もご存知のように、僕は今時珍しいぐらいの純情で内気な日本人男性です。気心が知れた女性バックパッカーとハナシをするときでさえ緊張してしまう、そんな僕がバックパッカー以外の日本人女性とハナシをするなんて、しかも9ヶ月ぶりですよ!!9ヶ月!!緊張するなというほうが無理というものです。それで彼女といったいどんな会話をすればいいのかわからないままに、とりあえずベラベラと自分のアフリカ旅行について喋りまくったのですが、ふと彼女を見るとその表情に



「私アフリカに興味ありません」


 

 というメッセージがありありと出ていたので、慌てて僕はタイ滞在の話題に変えようと思ったんですけど、
よく考えてみたら僕がタイでした事といえばデモ集会に参加したぐらいだし、




「バンコクで 『オッパイ』 って叫んでいました」



 なんて言ったら変態扱いされるのは目に見えているし・・・などと困っていたら、しだいに彼女のほうがいろいろとハナシを盛り上げてくれて、なんとか間をもたすことができました。ちなみに彼女が僕にしてくれたハナシというのは、日本の話題でした。僕が久しぶりに日本へ帰るというので、彼女は親切にも日本のニュースをいろいろと教えてくれたのです。彼女が教えくれたニュースのうちの幾つかは、僕も知っていた内容でした。なぜならアフリカにいた頃、僕は可能な限りネット屋に行くようにしていたので、日本に関する大きなニュースについては、インターネットから時々情報を仕入れていたのです。


大黒将志がフランス・リーグへ移籍したとか、浦和レッズが天皇杯で優勝したとか、自分が興味がある分野はもちろんですが、時事ニュースなんかも真面目にチェックしてました。例えば昨年の総選挙で自民党が圧勝したこと、僕がこのニュースをエチオピアで知ったときには、



「僕が日本にいれば、バックパッカー党』を旗揚げしたのに・・・。」



と、残念に思ったことは言うまでもありません。


それから紀宮さまが結婚の際に皇族の身分を返上し、民間人になったことはザンビアで知りました。
このニュースを読んだときには



「僕も日本に帰って民間人に戻ったら、スーパーバックパッカーの称号』を返上しなければならないのだろうか?」



 などと思い悩んだことも今となっては良い思い出です。


まあ、そんな感じで時事ニュースとスポーツ記事に関してはマメにチェックしていました。逆に全然チェックしてなかったのは音楽とか芸能の分野です。このテの情報は知らなくても全然困らないだろうと思ったので、ほとんどノーチェックでした。なので僕はこの機会に彼女に今日本で流行っている芸能人をいろいろと尋ねました。確か音楽の分野では僕が日本を出た頃は


タッキー&翼 の 「仮面」


 とか


Gackt の 「メタモルファーゼ」


なんかが流行っていたんではないかとかすかに覚えているのですが、それから僕が海外で9ヶ月過している間に日本の音楽シーンにどのような変化があったのか、それとも無かったのかを尋ねたところ、つい最近まで日本で大流行していたのは



「修二と彰」


 というミュージシャンとのこと。それで曲名は


「青春アミーゴ」


 というらしい。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?





何ソレ? なんかグループ名も曲名もヒドくないですか? どんな歌なのかも全く想像できませんよ。


あと彼女によれば、



「アキバ48」



とかいうグループもブレイクしているのだそうだ。なんかモーニング娘みたいな女の子達のグループらしいけど、それにしても48人もメンバーがいるなんてすごい。学校だったら1クラス作れるじゃないですか。


それからお笑いの分野では、HGとかいう芸人が出てきたらしい。HGがどういう意味なのかしらないけど(ハイ・グレード?)なんでもこの人の



「ふぉー!」



 とかいう持ちネタが大流行らしい。なんでも両手をアタマの上に挙げて、



「ふぉー!」



 と、叫ぶとのことなのだが、彼女の説明はイマイチわかりにくかった。なので僕が



「ちょっと実際にやってみてよ」



 と、頼んだところ



「こんなところじゃ恥ずかしくてできない」



 と、顔を赤らめながら言い、やってくれなかった。いったいどんな芸なんだ?



まあとにかく、僕が9ヶ月間離れている間に日本のショービジネスに変化があったのはわかりました。そういうわけで軽い「浦島太郎」状態で、明日日本に帰ります。とりあえず日本に帰ったらまず、



「ふぉー!」



 を覚えようと思ってますので、皆様ご指導よろしくお願いします。



P.S ちょっと小耳に挟んだんですけど、「イナバウアー」って何ですか? どんな分野の言葉なのかさえ、わからないんですけど・・・。


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category: [アフリカ編] リアルタイム現地報告

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タイの中心で、〇〇と叫ぶ。 (タイ編) 

 

ついに日本へ帰るチケットを購入した。昨年の6月に日本を出て以来、およそ9ヶ月。最初の約1ヶ月はヨーロッパとモロッコ・エジプトだったので楽勝だったけど、エジプト出国の難民船としか思えないナイル川上りから始まって、モザンビーク南下のクレイジー・バスぐらいまでのブラック・アフリカ7ヶ月は本当にきつかった。それであんまりきつかったので今はタイのバンコクで旅の疲れをとっているわけなのだが、そのバンコク滞在も既に半月を超え、もうバンコクはお腹いっぱいって感じだ。


物価安いし、安全だし、言葉なんて下手すると日本語が通用しちゃったりして、ようするにすごく快適で、
日本食たべまくったり、漫画喫茶で日本語のマンガ読んだりするのが楽しくて楽しくてしょうがなかったんだけど、よく考えてみたらそういうことは日本でもできることであり、別にタイじゃないとできないことではないということに、



つい最近気がついた。



 そんなわけで日本へ帰る今になり、あわてて



「やばい、何かタイらしい経験しないとタイに来た意味がないぞ!」



 と、遅まきながら思うようになり、他の旅行者とタイスキを食べに行ったり、王宮を見学しに行ったりしたのだが、これがいまひとつピンとこない。タイスキはもちろんタイの料理だけど、食べた場所はなぜか中華街だった。そして王宮はもちろんタイの建築物だけど、そこにいたのはなぜか外国人観光客ばっかりだった。マトモに考えてみれば、そもそもタイらしい経験をしようというのに中華街へ行ったのが間違いだし、外国人しか集まらないような観光チックな場所に行ったのも、やはり間違いだったと言わざるを得ない。どうもタイに来て以来、私は旅人の感覚をニブらせてしまったようだ。これではいけない。なにしろ私は未来のバックパッカー界を担う少年少女たちの目標



スーパーバックパッカー



 である。そのスーパーバックパッカーが、普通の外国人旅行者でもできるような経験でタイの旅行を終わらせてしまっては、私に憧れる少年少女たちの夢を壊しかねない事態になってしまう。アフリカにいた頃の自分を思い出し、何かタイじゃないとできない経験を得てから日本に帰らなければ。


ではタイらしい経験とは何だろうか?


ここはやっぱりウルルン滞在記ばりの「地元の方々との触れ合い」がベストなのは百も承知だが、しかし私はタイ到着以来ずっと外国人旅行者の溜まり場であるカオサン・ロードに滞在し続けている。ここは地元タイの人たちがいないというわけではないのだが、いたとしてもそういう人達はたいていの場合外国人慣れしているので、失礼ながらスーパーバックパッカーの相手には適さない。


では私はいったいどうすればいいのだろう?


そんなふうに思い悩んでいたときに声をかけてきたのが、同部屋のK君だった。
K君はこんなふうに声をかけてきた。



「KOGさん、これから王宮に行きませんか?」


「王宮ならこの前行ったから、もういいよ。」


「いや王宮って言っても王宮自体じゃなくて、王宮広場に行くんです。」


「広場?」


「ええそうです。王宮前の広場で今日もデモやるらしいんですよ。僕、それに参加してみようかと思ってるんです。」


「ああ、例のやつね・・・。」



現在タイの首都バンコクでは、連日のように大規模なデモ集会が行われている。日本で報道されているのかどうかわからないけれど、これはタクシン首相一族の不透明な株取引に端を発したもので、首相の辞任を要求する10万人にもおよぶバンコク市民が、毎晩のように抗議集会を行っているのである。タクシン首相は議会を解散して事態の収拾を図ろうとしたが、バンコク市民はあくまで首相の退陣を要求し続けており、「タクシン首相が退陣するまでデモを続ける」と、その鼻息は荒い・・・


・・・と、さも自分で調べたように書いてみたが、実は上記の文章はみんな長期滞在者から聞いたハナシであり、私はといえば毎晩デモが行われていたのは知っていたが、いったい何のデモなのか全然に知らずに毎晩宿でビールを飲んでいた。何故宿で飲んでいるのかというと、タイでは夜12時を過ぎると酒類を販売してはイケナイという法律があって、バーに行ってもコンビニに行っても酒が手に入らないのである。聞くところによると、この法律はタクシンが首相になってから施行されたとのことで、私個人としても首相には是非とも退陣してもらいところだ。そんなわけで今日も夕方から宿で昼間のうちに買い置きしていたシンハ・ビールを飲んでいたわけなのだが、ちょうどほろ酔い加減になったところでK君が誘ってきたのだった。



「KOGさんも一緒にデモに参加しませんか?」


 そうK君は言う。しかしながら私は


「うーん、あんまり行きたくないなあ・・・。」



 と、答えた。確かに私としても首相には辞任してもらいたい。そしてデモに参加するというのは普通の旅行者はあんまりやらなそうだし、「海外でしかできない経験」を求めている私には良い機会だと思えなくもない。
しかしながら私はいまひとつ踏み切れないのだ。タイの政治問題に日本人である私が口を挟むことについて、どうしても躊躇してしまうのである。何故なら私のようなスーパーバックパッカーが口を出してしまうと、
きっと事態に大きな影響を与えてしまうことは必至であり、その結果タイ政府から内政干渉と思われたらとても困るし・・・・・などと考えていたらK君が



「デモの参加者には食事の差し入れとタイの国旗がもらえるんですけどね・・・。」



 と、意味深な笑みを浮かべながら言った。


その言葉を聞いて私は思った。もしタイの政治に汚職と腐敗が存在しているのが事実だとすれば、やはりそれは許されないことであり、誰かが正さなければならない。良い事を実行するのに国境の壁なんて関係ない。我々人類みな兄弟であり、お互いに協力し合わなければならないのだ。正義感に燃えた私はK君と一緒にデモ集会に参加することに決めた。読者のみんなには理解できると思うが決して私は差し入れという



「タダ飯」



 に釣られて参加するのではない。スーパーバックパッカーとしてタイの世直しに協力するのは私の当然の義務であり、参加者に配られるタイの国旗が



「お土産に最適だ」



 などと思ったからでは、決してない。間違っても誤解しないでもらいたい。



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王宮前広場は、群集で埋め尽くされていた。皆、タクシン首相の退陣を要求するシュプレヒコールを大声で叫んでいる。その光景に私もK君も圧倒された。なぜなら私もK君も今までデモのようなものに参加した経験はなかったから。しかしそれは仕方のないことだろう。今の日本で10万人規模の集会なんてまず起こらないし、もし起こったとしたら、それはデモではなくてたぶんグレイのコンサートだ。


しかしそれにしてもこれだけ大規模な集会であるにもかかわらず、暴力的な匂いが全くしないところがタイの良いところだ。外国人が参加しても全く危険な感じがしない。実を言うとスーダンにいた頃にも大きな集会に参加する機会があったのだが、残念ながら私は参加しなかった。何故ならそれはデモというよりはハッキリ言って暴動であり、何よりも



命を落とす



危険性がメチャクチャ高く、スーパーバックパッカーが旅半ばにして倒れたとあっては大勢の女性読者を悲しませることになるので、あえて辞退したのだった。まあそんなハナシはともかくとして、とにかく我々はデモの熱気に圧倒されていた。


そしてもうひとつ付け加えるなら、わからないことがひとつだけあった。デモ参加者の叫んでいるシュプレヒコールである。彼等の叫びが私にはなんだか恥ずかしく聞こえるのである。ちなみ彼等はこんなふうに叫んでいた。



「オッパイ!! タクシン!! オッパイ!! タクシン!!」



 ・・・私は何故だかすごく恥ずかしかった。そしてそんな私の表情を見たK君が言った。



「日本語の『やめろ』をタイ語に訳すと『オッパイ』って言うんですよ。だから『オッパイ タクシン』っていうのは『タクシン辞めろ』っていう意味なんです。」



 そうだったのか。それで彼等はあんなふうに叫んでいるのか。一瞬だけど私は彼等が首相に対して



「オッパイが欲しい」



 と、要求しているのかと思ってしまったが、どうやらそれは私の勘違いだったようだ。



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その後、私達はデモの状況をしばし見学していた。けっこう長い間見学していた。そして見学を始めてから1時間ぐらい経ったころだろうか?K君が、もう我慢できない、というような表情で僕に言った。



「KOGさん、僕達もやりましょう。」


「何を?」


「僕達も叫ぶんですよ。だって僕達はデモに参加するために来たんじゃないですか。」


「でも『オッパイ タクシン』だよ・・・。本当にやるの・・・?」



ハッキリ言って私は乗り気じゃなかった。確かに私はこのデモに参加するために来た。しかしいい年をした男が『オッパイ』などという言葉を大声で叫んでよいのだろうか?もちろんその言葉がタイ語だということはわかっている。それはあくまで「やめろ」という意味であり、「女性のそれ」を意味する言葉ではないということはわかる。だが頭でわかっていても、どうしても私の純情すぎる少年のような心が歯止めをかけてしまうのだ。いったい私はどうすればいいのだ・・・。そしてそんなふうに悩んでいる思春期の私に対し、K君が言う。



「KOGさん、こんなチャンスめったにないんですよ。」


「チャンス? 何が?」


「よく考えてくださいよ。KOGさん、日本で『オッパイ』って叫んだことあります?」


「あるわけないだろう。」



 私はそう答えた。あるわけがない。日本でそんな言葉を人前で大声で言えるはずがない。例えば私が東京・渋谷のスクランブル交差点で



「オッパイ!! コイズミ(首相)!! オッパイ!! コイズミ(首相)!!」



 と、叫んだらどうなるだろう。ひょっとしたら周りから「気の触れた変態」と思われるかもしれない。いやそれだけながらまだしも最悪の場合、警察に逮捕されることも考えられる。私が警察署で



「首相の退陣要求を『タイ語』でしていただけです。」


 
 と、説明しても、きっと誰も信じてはくれないだろう。そしてそんな事を考えていたらK君がとどめの一言を私に放った。



「でしょう? 僕も日本でオッパイななんて叫んだことなんてないですよ。でもね、今ならそれができるんです。絶対に良い思い出になりますよ。KOGさんもうすぐ日本へ帰るんでしょう? 今やらなっかたら、日本に帰ってから後悔しますよ。」



確かにそうだ。私はアフリカで最凶最悪都市ヨハネスブルグに平和をもたらした。アジア人である私がアフリカでさえ民衆のために働いたのである。そんな私が地元のアジアで民衆が戦っているというのに、ただ指をくわえて見ているだけでいいのだろうか? いや、いいはずがない。もし今ここで何もしなかったら、私は日本に帰った後で必ず後悔するだろう。世界のどこの国にいても民衆のために全力を尽くすのが、スーパーバックパッカーである。そして今タイで全力を尽くす事とは、それはすなわち民衆と一体になってシュプレヒコールを叫ぶことである。私は決断した。



「K君、やろう! 一緒にタイのために頑張ろう!」



それから私とK君はタイ人に負けないくらいの大きな声で



「オッパイ!! タクシン!! オッパイ!! タクシン!!」



 と、叫んでいた。最初のうちはちょっと照れくさかったけれど、慣れてくるとだんだん調子が出てきて、タイ人の参加者よりも大きな声で叫んでいた。そして最後のほうになるともう、なんだかタクシンと言うのが面倒で、ただ



「オッパイ!! オッパイ!!」



 と、だけ叫んでいた。自ら率先して叫んでいた。そして私は女の子と一緒に来なくて本当によかったと思っていた。


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あくまでK君の予測であるが、おそらくタクシン首相は退陣に追い込まれるだろうとの事。これは汚職と腐敗の無い政治を求める民衆の「オッパイ」という声が、タイの政治を変えることを意味する。しかしながらその民衆の中に日本人がいたという事実に、タイ人が気づくことは無いかも知れない。そしてその日本人がスーパーバックパッカーであったという事にも彼等は気づかないかもしれないが、これに関しては



「できればこのまま気づいてほしくないな・・・」



 と、スーパーバックパッカーは考えているそうである。



追伸 : そんなわけでスーパーバックパッカーは、バンコクでやるべきこともやって満足したので、
もうすぐ日本へ帰ります・・・。


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旅のライバル (タイ編) 

 


降り止まない雨はない。そして明けない夜もない。
どんなに暗く深い闇に包まれようとも、必ずいつかは光が差し込んでくる・・・。


ヨハネスブルグ


この街は永きに渡り暗黒の雲に覆われていた。国家でさえも手におえない悪党が跳梁跋扈し、多くの外国人旅行者が襲われた。地元住民は恐怖の中での生活を余儀なくされ、ここに生を受けた自分達の運命を呪っていた。この街に平和が訪れることなど未来永劫あり得ない事だと、誰もが思っていた。


しかしそんな魔界都市にも、遂に神の祝福が授けられた。この街に巣食う悪党どもに、ケープタウンより風のように訪れた一人の清々しい好青年が闘いを挑んだのだった。その戦いは三日三晩にも及んだ。圧倒的多数を誇る悪党たちに対し、青年はたった一人、不眠不休で闘い続けた。戦況は明らかに彼にとって不利であり、誰の目にも敗北は必至だと映った。

しかし青年は最後まであきらめなかった。彼はどんな苦境にも


「少年のような心」

 と

「さわやか笑顔」


 というリーサル・ウエポンを持って闘い続けたのだ。そして戦いが終わった時、勝利は彼の手の中にあった・・・。


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最後の敵を倒したとき、彼は少年のような微笑みを浮かべながら


「ご安心下さい。戦いは終わりました。これでこの街も平和になるでしょう。」


 と、ひとりの住民に声をかけた。住民は青年のあまりの清々しさに感極まりながらも


「あなた様はもしやメシア(救世主)では・・・?」


 そう尋ねると


「私は救世主などではありません。私はただのバックパッカーです。」


 男はそう答えて、名前も告げずに立ち去ったという。しかし住民達は彼が誰なのか気付き始めていた。ただのバックパッカーが僅か3日でヨハネスブルグを平定するなど不可能である。もしバックパッカーのなかでそのようなことを可能にする者がいるとすれば世界にただ一人、バックパッカー界の最高位に立つあの男、スーパーバックパッカーの称号を持つ、あの男しかいないのだから・・・。


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スーパーバックパッカーが僅か3日でヨハネスブルグに平和をもたらしたというニュースは、APやロイターといった外電を通じて瞬く間に世界中に流れることになった。当然それはタイにも伝わっているはずであり、救世主がヨハネスブルグの次にバンコクを訪れるとなれば、国を挙げての歓喜の嵐でスーパーバックパッカーを迎えると思われたが、実際に到着してみると、何故だか全然そんなことはなかった。私は不思議に思い、試しバンコクの街を歩いてみたのだが、やっぱりこの超有名人、スーパーバックパッカーに誰も声をかけてこない。

バンコクは夜中に外国人が一人で街を歩いても襲われないという不思議な街なので、沢山のお気楽な旅行者が深夜まで酔っ払いながら街を徘徊しているのを見かける。ケニアのナイロビやジンバブエのハラレに滞在している旅行者から見ればちょっと信じられない光景なのだが、それくらい大勢の旅行者がいるにもかかわらず、私に


「アフリカ陸路縦断達成おめでとうございます。」

 とか

「旅の武勇伝を聞かせてください!」

 とか

「ヨハネスに平和をもたらした今の心境は?」


 と、言って声をかけてくるものが一人もいない。私はそれならばと思い、カオサン・ロードにある日本人しか泊まっていない宿にチェックインしてみたのだが、やはりここでも状況は同じだった。スーパーバックパッカーがやってきたというのにほとんど誰も私に関心を示さない。

これはいったいどういうことなのだろう?日本人同士であれば言葉の壁もないから遠慮なくハナシができるはずなのに、ちっとも言葉を交わすことがない。ブラック・アフリカにいた頃は日本人と出会ったりすると、驚きのあまり絶対に声を掛け合うのが自然のなりゆきだったのに、ここではそういうことが全然無い。こっちが「こんにちは」と、声をかけているのに、目で会釈するだけで一言も返さない奴すらいる。この原因はどうやら、「タイに日本人旅行者が多すぎる」ことにあるようなのだが、だからといって誰とも口をきかないのでは、わざわざ日本人宿に泊まっている意味が全然無いので、仕方なく自分から他の宿泊者に


「スワジランドの安宿について教えてあげるよ。」

 と、声をかけたところ

「それ、どこにあるんですか?」

 と、一蹴されてしまった。それならばと思って

「じゃあウガンダのピグミー(小人族)に会う方法を知りたくない?」

 と、質問を変えてみたが 

「いや、別に・・・」

 と、これまた気の無い答えが返ってくる。なのでこうなったら最後の手段で

「じゃあこれはとっておき! ザンビア - ボツワナ間の陸路国境越え情報を・・・」

 と、説明を始めたところ

「あ、僕ちょっと用事を思い出したんで・・・。」


 と、言って部屋を出て行ってしまった。私の親切心はなんだか逆効果だったみたいだ。


確信はないのだが、ひょっとしたらタイにいる旅行者はアフリカ縦断とかユーラシア横断とか、そういう旅行にあんまり興味が無いのかもしれない。あと気のせいか私からすると、何だかみんな「死んだ魚のような眼」をしているようにも見える。やる気があるのか無いのか、表情から読み取るのが非常に難しい。


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そんな感じで、予想もしていなかったバンコクでの滞在に、私は戸惑っていた。本来であれば「アフリカを陸路縦断」し、ヨハネスブルグに平和をもたらした」私は、少なくとも日本人宿なら皆の尊敬の眼差しを集めることができるはずだと考えていたのに、現実はそうではない。

その理由が何であるのかを数日間考え続けているうち、ひょんなことから私はこの宿に、私以上に旅行者の尊敬の眼差しを集めている旅人がいるというハナシを耳にした。これは聞き捨てならないハナシである。私のレベルを上回るの旅人なんて・・・。そのため私はその旅人がいったいどのような男なのか、調査をすることにした。そして現時点で判明したのは以下の事実である。


その旅人の名前は


「アニキ」


むろん本名ではない。しかし彼は皆から親しみを込めて「兄貴」と呼ばれている。年齢は40歳に近いということだが、正確なところは誰にもわからない。聞くところによるともう4ヶ月以上もバンコクに滞在しているらしい。一箇所に4ヶ月以上の滞在なんて、私にはどう考えても「沈没」としか思えず、ハッキリ言って


「旅行者じゃないじゃん」


 と、言いたかったが、それは何とか自重した。それから私は少しの間、彼の事を観察していたのだが、彼は本当に無口で物静かな男で、昼間は大抵の場合日本語のマンガを読んでいる。彼が自分から人に話し掛けるということはほとんどない。しかし宿の旅行者たちが、

「アニキ、ちょっと教えてもらいたいことがあるんですけど・・・。」

 とか、

「アニキ、今夜連れて行ってもらいたいんですけど・・・。」

 というふうに声をかけると、口数は少ないが一応何かしら返答している。そんな様子を私はずっと観察し続けていた。しかし観察し続けたがよくわからない。何故みんなアニキに頼るのだろう?


教えてもらいたい事があるのなら、私に尋ねればいい。


「ハラレでの闇両替の仕方」でも「ヌビア砂漠縦断情報」でも、何でも教えてあげるのに・・・。


連れて行ってもらいたいところがあるのなら、私に言えばいい。


「モザンビーク」でも「ルワンダ」でも、どこへでも連れて行ってあげるのに・・・。


アニキは私のように「清々しく」も見えないし、「少年の心」を持っているようにも見えない。しかし現実には、宿のみんなは彼の事を頼り、慕っている。それもこのスーパーバックパッカーをさしおいて・・・。わからない。私には何故彼がそこまで皆の支持を得ているのかが全くわからない。恐らくアニキは皆の尊敬を集める何か特別な秘訣を知っているのだろうが、今の私にはそれを見抜くことができない。

しかし手をこまねいているわけにもいかない。このままではいつまでったても私はこの宿ではナンバー2だ。そんな事は絶対に駄目だ。そんな事になったら、これまでの戦いで私に敗れた強敵達が私のことを笑うだろう。

牡牛座のアルデバラン、双子座のサガ
ドイツのカール・ハインツ・シュナイダー、アルゼンチンのファン・ディアス・・・。
彼等は私のことを笑うだろう。
我が師である「魔鈴」「ロベルト本郷」も、決して私の事を許さないだろう。
早く何とかしなくては・・・。

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その後も私はアニキの調査を続けたが、残念ながら数日を無駄にしただけだった。さすがに私は少々焦ってきた。意気込んでみたものの、なかなかアニキの秘密に近づく事ができない。いったい私はどうすればいいのだろう。ツーリスト・インフォメーションに「アニキの秘密」について尋ねに行こうかと、真剣に思い始めた頃、私は同宿の旅行者から


「KOGさん、アニキが今夜、酒飲みに行くみたいなんですよ。それで俺もついていく事になったんですけど、どうです?KOGさんも一緒に行きませんか?」


 という、唐突な誘いを受けた。思わぬお誘いだった。しかしこれは良いチャンスだぞ。アニキがどれほどすごい男なのかを、自分の眼で確かめられる絶好の機会だ。おそらくこれは旅の神様が、


「激闘の末にヨハネスブルグに平和をもたらした私」


 に対して褒美として与えてくれたチャンスなのだろう。この好機を逃すことはできない。私は自分も行くと即答した。


そしてアニキと私、他3名の同宿の旅行者(いずれも会社を辞めて旅している)の計5人は、酒を飲む為にタクシーで夜のバンコクへと繰り出すことになった。しかし何故タクシーに乗ったのだろう?カオサン・ロードには酒を飲む場所なんて吐いて捨てるほどある。小洒落たバーもあれば、屋台で飲むことだってできる。それで不思議に思った私は尋ねてみた。


「どうしてタクシーに乗るの?飲み屋ならそこいらに沢山あるじゃん。」

「アニキは『タニヤ』に行きたいんだそうですよ。」

「そうなんだ、なるほどね。」



 と、私はさもわかっているように答えたが、実は初めて耳にした専門用語に戸惑っていた。


『タニヤ』ってなんだろう?


なんだかさっぱりわからないが、まさか「タニヤって何?」なんて訊けるはずがない。私は世界にただ一人のスーパーバックパッカーであり、外国のことに関しては誰よりも詳しいことになっているので、旅の初心者のように簡単に人にものを尋ねてはいけないのである。そんなわけで私はタクシーに乗っている間、ずっと「タニヤとは何か?」考え続けていた。

そして数十分後、我々を乗せたタクシーはタニヤに到着した。そしてタクシーを降りたとき、私は唖然とした。そこはまさしく日本だった。日本語で書かれた看板を掲げた店が、これでもかというくらいに存在していた。しかもそのどれもが高級店のように見える。

店の前ではタイ人の客引きが



「カワイイ子イマスヨー。」



 と、何故だか流暢な日本語で呼び込みをしていた。私はそんな光景を目にして、



「ここは本当にタイなのだろうか?」



 と、驚いていた。とにかくタニヤという地域の全てが日本だった。私はそのエリアの中でも少しくらいタイらしいところがないかと見回していたのだが、タイらしい店というのが全然見つからない。一軒だけ屋台があって、

「お、タイらしくちゃんと屋台もあるじゃん。」


 と、思ってのぞいてみたら、それは「たこ焼き」の屋台だった。ちょっと信じられない光景だ。私はあんまりビックリしていたので、まるでおのぼりさんのようにキョロキョロと日本語の看板を眺めていた。


「クラブ純」、「クラブ天使」、「カレッジ・パブ 屋根裏」


いろんな店があった。しかしどうでもいいことだけど「クラブ~~」というのはともかく、「カレッジ・パブ」というのは一体どのような店なのか想像もつかない。あとついでに、「屋根裏」というネーミング・センスもよくわからない。

とにかくタニヤの全てが私にとって未知の世界であった。そして私は世界を股にかけるスーパーバックパッカーなのに、タイのことについて何も知らない自分を恥じた。

そしてアニキはといえば、何一つ驚いた表情を見せずに我々の先頭を切って歩いていた。どうやらアニキはタニヤについては詳しいようだ。そしてアニキは数多くあるクラブのうちの一軒へと、足を踏み入れた。我々はただ金魚のフンのようにアニキの後をついて行くことしかできなかった。


「イラッシャイマセー!!」


店に入った瞬間、いきなり大勢の若い女の子達がそう言って我々を出迎えた。私は



「何故こんなところに日本の若い女の子が沢山いるんだ。」



と、驚いたが、よく見てみるとみんなタイ人の女の子だった。それにしてもどうしてこんなにも多くのタイ人が日本語を話すのだろう?ひょっとしたらタイの第二外国語はジャパニーズなのかもしれない。それはともかく、私が店の女の子達に驚いていると、突然アニキが


「今夜は5人もいるからね。ボトルを入れるのと飲み放題とどっちが安いか計算するから、その間に女の子を選んでおいて。」


 と、言ってどこからか電卓を出し、そそくさと計算を始めた。普段は無口なあのアニキが今夜は率先して皆に的確な指示を与えている。そんなアニキのリーダーシップぶりに他の旅行者達は皆感心している。あと彼等はなんだか女の子を選ぶのにも夢中になっている。

しかし酒を飲むのにどうして女の子を選ばなければならないのだろう?別に男だけでも酒は飲めると思うのだが・・・。幾つになっても「少年のような心」を忘れない私には、その理由がまるでわからない。他の旅行者達が次々に好みの女の子をチョイスしていくなか、状況が把握できていない私は、ニコニコと私に対して笑顔を送ってくる女の子達の前でただ立ち尽くしていた。すると見かねた店のマネージャーが私に声をかけてくる。


「好キナ娘ヲ、選ンデ下サイネ。」


完璧な日本語でそう言われたのだが、それでも私は女の子を選ぶことができなかったので、結局マネージャーが薦めてくれた女の子を隣に座らせて酒を飲むことになった。そして皆が女の子を選んだとき、アニキが言った。


「計算したら飲み放題のほうが安かったよ。1時間600バーツね。」



1時間600バーツ(1800円)? 飲み放題とはいえ、なんでそんなに高いんだ?宿代4泊分もするじゃねーか。タイの物価からすると以上に高いぞ。何故バックパッカーがそんなに高い店で飲まなきゃならないんだ?

私はアニキについてきたことを後悔しはじめていた。いくらアニキの秘密をあばくためとじゃいえ、600バーツは大き過ぎる代償である。しかし飲み始めた以上、今更自分ひとりだけ帰るわけにもいかない。

私は仕方なく隣に座っている若いタイ人の女の子と日本語で会話しながら酒を飲むことにした。読者のみんなはわかってくれると思うが、あくまでも仕方なくである。間違っても誤解しないでもらいたい。それを証拠に私は女の子と酒を飲みながらも、常にアニキの動きをチェックしていた。何故なら今夜飲みにきたのは、あくまでアニキの秘密を探るためだからである。だから私は、なんだかやたらと甘えてくる女の子をすかしながら、アニキのほうをチラチラと盗み見ていた。

アニキもチョイスした女の子と会話していた。というか、女の子が一方的に話していて、アニキはただ聞いているだけという感じだ。私は二人がどんな会話をしているのか知りたかった。それを知ることが出来れば、アニキの秘密に少しは近づけるかもしれないからだ。あまりほめられる行為ではないが、もはや手段を選んでいる場合ではない。私はデビルマンに勝るとも劣らない地獄耳で、彼らの会話を盗み聞く事にした。


「ねえ、社長・・・」


・・・な、なんだって!? アニキが「社長」!?そ、そうか、ただの旅行者ではないと思っていたが、それにしてもまさか「社長」だったとは・・・。どうりで威厳があるはずだ。それなら他の旅行者達が「アニキ」と呼び、彼に一目置くのにも頷ける。なぜなら日本人は「社長」という言葉に弱いからだ。しかしこれは強敵だぞ。社長」を相手に宿のナンバー1の座を奪わなければならないのだから・・・。


ん?しかし待てよ?アニキは社長なのにどうして安宿なんかに泊まっているんだろう?しかもドミトリーに。社長なら金を沢山持っているはずなのに・・・。


・・・わからない。全然わからない。今夜は何だかわからない事ばかりだ。ライバルである私をここまで悩ませ、女神より


「黄金聖衣(ゴールドクロス)」「スーパーバックパッカーの称号」


与えられたこの私をここまで苦しめるとは、さすがアニキだ。どうやら今夜のところは私も自分の敗北を認めるしかなさそうだ。しかしアニキ、私は決してあきらめないぞ! いつの日か必ずアニキからナンバー1の座を奪ってみせる!


アニキと私の戦いはまだ始まったばかりだ・・・。

category: [アフリカ編] リアルタイム現地報告

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アフリカ最後の武勇伝 

 


バスは朝靄の中、パークステーションを目指してハイウエイを滑るように走っていた。そしてそのバスの中では一人の男が窓からヨハネスブルグの街を眺めている。周りの乗客は誰も気付いていなかったが、彼の身体は小刻みに震えていた。しかしそれは不安や恐怖のせいではない。男はこれから始まる闘いに、武者震いしていたのだった。


「ついにやってきたぜ・・・。」


男はそう呟いていた。血塗られた過去を思い出しながら。


エジプトではリビア人に間違われ、エチオピアではテントも無いのに路上で野宿した。ジンバブエでは風邪ひいて高熱を出し、モザンビークでは生まれて初めて南京虫に刺された。そして魔鈴さんとの「ペガサス流星拳」特訓の日々・・・(以上、「血塗られた過去」)。



今思えば、それらの過去は全て今日のこの日のためのプロローグだったように思えてくる。今日、このヨハネスブルグ到着のための・・・。


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旅人の誰もが恐れるという、魔界都市・ヨハネスブルグ。そこでは最強の魔物たちが手ぐすねひいて外国人旅行者を待ち構えているという。彼等の戦闘能力は世界のどの国の強盗団よりも高く、ここを突破するのはブラジル代表FWアドリアーノといえども容易ではない。事実、数々の歴戦を経験した旅の猛者たちの中にも、彼等の刃の前に倒れた者は多いのだ。

しかし俺は負けるわけにはいかない。ここで敗れては遥か遠い日本から俺を応援してくれる、5億8000万人のファンに顔向けできない。スーパーバックパッカーの名に恥じぬ戦いをして勝利し、散っていった戦友たちの仇を討つのだ・・・。

俺はそう誓いながら、ケープタウンのバス・ターミナルからヨハネスブルグへと向かうグレイハウンドに乗り込んだ。ちなみに俺がグレイハウンド社のバスに乗ることになったのには理由がある。実はケープタウン在住の日本人から薦められたのだ。


「いいですか、絶対にグレイハウンド、トランスラックス、インターケープ、この3つのうちのどこかのバス会社を使ってください。ヨハネスブルグのパークステーション内に入るバスはこの3社だけです。他のバス会社だとヨハネスブルグでバスを降りた瞬間に襲われて身包み剥がされます。でもパークステーションの中は安全です。だから必ず直接パークステーションに入ってから、次の行動に移ってください。」


 彼は俺にそう忠告したのだった。そして俺は


「う、うん。わかった。そうするよ・・・。」


 そう言って彼の忠告を0.01秒で勇ましく受け入れた。いや、別に襲われることが怖かったわけじゃない。武装強盗なんて俺の敵ではない。何故なら俺には必殺の「ペガサス流星拳」があるからだ。彼の忠告を素直に受け入れたのはあくまで彼を心配させない為であり、他意はない。


そして今、俺が乗っているバスはヨハネスブルグの中心部へと着々と近づいている。過去を回想するのにも飽きた俺は、昨日から通算すると20回目くらいになる質問をバスの乗務員に投げかけていた。


「こ、このバス、パークステーションの中に入りますよね? 絶対に入りますよね?」


俺は威風堂々とそう質問した。そして乗務員は俺のそんな質問に対し、「そんなに心配しなくても大丈夫だから。」と、答える。彼の表情は優しく、まるで泣いている幼稚園児を慰めるような答え方だった。彼が俺に対して何故そのような言い方をしたのかはわからない。きっと他の人間と間違えてていたのだろう。


やがてバスはハイウエイを降り、ヨハネスブルグの中心地に入った。
しかし中心部入ったにもかかわらず、街からは活気というものが全く感じられない。
まるで見捨てられた街のようだ。
いや、これは気のせいだろう。南ア最大の都市に活気が無いはずがない。

さらにバスは中心部からヨハネスブルグの最深部へと入った。
しかし何故だかわからないが、白人や東洋人が歩くのを全く見かけない。
とても白人が政権を握っていた国とは思えない。
いや、これは気のせいだろう。南ア最大の都市で外国人がいないはずが・・・


「・・・気のせいじゃないし。・・・何だか怖そうな黒人しかいないし。」


どうやらヨハネスブルグはケープタウンとは全然違う街のようである。


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パークステーション


ヨハネスブルグの中心地にありながら、魔物の進入を許さない唯一の聖地。その砦は金属製の強固な柵に囲まれ、多数の衛兵(警備員)による警戒を絶やさない。バスは遂にそのパークステーション内に入ることに成功した。

そして駐車場にはスーパーバックパッカーを出迎える群衆が・・・・・
と、思ったらほとんど人影が無かった。どうやら早朝のせいらしい。仕方ない。歓迎の催しはあきらめてさっさと宿へと向かうことにしよう。スーパーバックパッカーに立ち止まることは許されないのである。だから俺はバスの乗務員にこう言った。


「す、すみません。明るくなるまでバスの中にいさせてもらえないでしょううか?」


 いや、勘違いしないでもらいたい。夜行バスの中で上手く眠れなかったから、もう一眠りさせてもらおうと思っただけだ。決してバスから出るのが怖かったとか、そういうことではない。まあ、そんなことはともかく、俺の問いに対して乗務員はこう答えた。



「悪いがこのバスはヨハネスブルグじゃなくて、次のプレトリアが終点なんだ。だからすぐに出発しなきゃいけないんだ。」

「そんな・・・」

「休みたいならすぐそこにウチのオフィスがあるから、そこで休みなさい。」

「そのオフィスはパークステーションの中にあるのですか?」

「そうだ。だから安全だ。心配するな。」



俺はその言葉を聞くやいなや、バスを出てグレイハウンドのオフィスに駆け込んだ。


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そのオフィスで数時間ビビッテいた休息した後、俺は行動を再開することにした。とりあえず今日泊まることのできる宿へ向かわなくてはならない。俺はガイドブックを開き、安宿をひとつチョイスした。そしてそこに電話をかけることする。何故電話をかけるのかというと、宿から迎えにきてもらうのである。

誤解しないでもらいたいが、俺は一人で宿まで行くのが怖くて迎えにきてもらうわけではない。実はヨハネスブルグの大抵の宿には「無料の」ピックアップサービスがある。これはヨハネスブルグを訪れる旅行者の安全確保のために宿がサービスの一環として行っているのだが、俺の場合はもちろん女神に認められたセイント(聖闘士)だから、自分の身なんて自分で守ることができる。それは魔界都市ヨハネスブルグにおいても同様である。俺がこのサービスを利用するのはあくまで「無料だから」である。スーパーバックパッカーとして、いついかなる時でも倹約の精神を忘れてはならない。決して一人で街に出るのが怖いからとか、そんな理由ではないのである。

そういうわけでパークステーション内の公衆電話から俺は目当ての宿に電話をかけた。相手はすぐに出てくれた。


「すみません。今日そちらに宿泊したいんですが。」

「部屋は空いてるから泊まれるよ。」

「あと無料でピックアップしてくれるってガイドブックに書いてあるんですけど・・・。」


「うん、できるよ。ただこれからチェックアウトする宿泊客をを空港に送って、それからまた別の宿泊客を空港から拾って来なきゃならないんだ。だからパークステーションに行けるのは2時間後くらいになっちゃうけど、それまで待てるかい?」



「待てます!待てます! 2時間でも20時間でも待ちますから、必ず迎えに来てください!!!」


約2時間後、宿からの迎えがパークステーションにやってきた。俺は彼等に連れられて、中心部から離れたヨハネスブルグ・イーストゲート地区にある宿にクルマで無事に送り届けられた。結局ヨハネスブルグ初日、俺の身には何事もおこらなかった。俺は最危険地帯を無傷でパスできたのだ。まあ無傷なのは当たり前だ。だって魔物達が襲ってこなかったのだから。しかし魔物達は何故襲ってこなかったのだろう・・・・・


・・・・・そうかわかったぞ!、魔物たちは逃げ出したのだ。奴らにはわかっていたのだ。俺に立ち向かっても勝てるわけがないと。だから襲ってこなかったのだ。そうだ、きっとそうに違いない!


決して


「メチャクチャ怖かったので、ヨハネスブルグ到着で強盗に一番襲われにくい方法を使った。」


 から襲われなかったとか、そういうことではないので、くれぐれも読者の方々には勘違いされないようにお願いしたい。


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